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2015年3月22日 (日)

【SPEC】ケイゾクを見ていない人のために パート4【ケイゾク】

前回パート3の続きである。

繰り返しになるが、以前、「ケイゾクを見ていない人のために」という記事を書いた。
『ケイゾク』を見ていない人に、『ケイゾク』の魅力を伝えるというのは、このブログの究極の目的であるが、その目的は全く果たせていない。

『ケイゾク』を、『SPEC』を見た観点から批評したものとして最も優れていると思われるのが、このブログの記事「『SPEC』は『ケイゾク2』か?」だと思う。
その論理構成には、一つの回答として、納得させられるが、論理自体には、異論がある。
具体的にいうと、犯人がもっともらしい「動機」を語った後で真山が語る犯人の真の動機。これらは視聴者側の犯人への共感を難しいものにしている、という部分である。
これに異論を唱える形で、私の論調を、甚だ拙いものであるが、展開させてみる。

今回は、「動機」である。

2時間ドラマなどに代表されるような、「犯人」とされる人物が犯行の動機を語り、犯人が連行される、という「お決まり」のパターンを否定したのが、『ケイゾク』の画期的な点である。
これについてどう捉えるか、ということが、『ケイゾク』のこの部分の評価に繋がってくるわけだが、これは本当に、視聴者の正義感に左右されるもので、どちらの価値観に共感するか、ということでしかない。

私は、「殺意があれば正当防衛は成立しないのか」という記事を書いたように、基本的に犯罪というのは、というより犯罪を裁くという行為は、犯罪者の犯行意思という内心ではなく、犯罪を犯したという結果が裁かれる対象であると考えている。であるから、犯罪者が語る犯行の動機を否定し、犯罪は犯罪と切って捨てた真山の言動が「よく、言った!」と感じたものである。
そして、犯人への共感、である。刑事ドラマとしてそれが必要だという考えがあるのは分かったが、理解できない。「殺人事件が多すぎる」で書いたとおり、殺人事件というのは一年間に全国で938件しか発生していない。そもそも法を犯した存在であり、「法は道徳の最小限」と言った時の道徳的に絶対に許される存在ではなく、統計的にもごく稀な存在である殺人事件の犯人に共感するというのが、通常の人間に求められる態度なのかが疑問に感じてしまう。

ところで、ネタバレになるので詳しく書けないが、犯罪者のある「抗弁」に対して、『ケイゾク』の真山と『SPEC』の瀬文が全く逆の態度を取る場面がある。心情的に瀬文の態度に同情しないでもないが、あえて全『SPEC』ファンを敵に回して言うが、『SPEC』が『ケイゾク』を越えられなかったのがこの場面であると思う。
(続く)

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